結論から入るとほぼすべてのアニメ好きの人に見てほしい1話になっています。
リバイバルブームの中の1作品、ただの復刻では片づけられない良さがあります。
全体の雰囲気も良く、本当に大切に1話を作っているのが印象的でした。
目次
全体の感想
- 導入としては完璧
- 出崎統のアニメブラックジャックを彷彿とさせる出来
- 漫画の神様の神髄がここにある
導入としては完璧な1話でした。
アニメの1話としては理想的な流れで原作の古さを微塵も感じさせないつくりになっています。
百鬼丸の過去、妖怪との対決、どろろの紹介とかなり濃密な30分でしたがそれがすべてわかりやすくまとめられておりその上できちんと手塚ワールドを作りだしているのはあっぱれとしかいいようがありません。
私の好きなアニメに出崎統のブラックジャックがありますが大人向けに作られた綿密なつくりには脱帽させられましたがそれを彷彿とさせる作りでした。
漫画の神様の作品のリバイバルということでどのようにMAPPAが料理するのかと期待はしていましたが出来としては1話はほぼ最高といってもいいものに仕上げてきてくれました。
見えていないが見えている百鬼丸の世界を見事に再現
- バトルシーンの視点の移動が見事
- 見えないが見えているという百鬼丸の世界をうまく表現している
- 普通の人間との対比が鮮烈
今回なんといっても感心したのがバトルシーンの視点の移動。
百鬼丸は見えていないが何を見ているのか?
普通の人間は見えているが何が見えていないのか?
といったことが1つのバトルシーンの中に鮮明に描かれており非常に強烈な印象を受けました。
泥の怪物が襲ってきたとき、赤い炎のようなものとしてすでに百決丸には妖怪が見えている。
しかしどろろをいたぶっている男衆は全く気付かない。流れてきたどろのかたまりのようなものしか
認識できないんですね。
そしてこの差が明白になり最期男衆は妖怪に不意に襲われて亡き者になり、逆に百鬼丸はくっきりと妖怪をとらえ打ち倒す差となってあらわれます。
このはっきりと目ではみているが妖怪を見つけられない普通の人間と全く目が見えていないが妖怪の気配をすでに感じ取っている百鬼丸。
その感度の違いが明確に描かれていて百鬼丸がただものではないということが視点の移動だけで視聴者に伝わる作りになっています。
一つのバトルシーンの中に見えなくても見えている百鬼丸の視点と見えていても見えていない一般人の視点が混在したまさにどろろの世界でしか体験しえないバトルシーンが描かれていてスタッフの力量を感じました。
手塚治虫のテーマである命を描き切れるか?
- 手塚治虫の命の形
- 百鬼丸の生きたいという願望
- 国の繁栄か一人の命か?
個人的に気にしたいのが手塚治虫作品のテーマである命というものがどろろでどう表現されるのかということ。
恐らくそれは百鬼丸自身の体をもって再現されることになるのでしょう。
手も足も耳も目もなく声さえ発せない百鬼丸。
しかしそれでも生きたいと願いつくりもの手や足、顔を身に着け妖怪と戦い、そして一部分ずつではありますが徐々に自分の体の一部をとり戻していく。しかし自分という命を取り戻していく度に国を守っている鬼神の加護が消えていき国の繁栄に陰りが見え始める。
今回地獄堂の鬼神堂が割れ、土砂が崩れ始めたシーンがあります。
恐らくでありますが百鬼丸が倒したのは大地の神であり彼が体の土台でもある皮膚を取り戻したことによって大地の加護が消えたのでしょう。
たった一人の命が生きたいと思うだけで国全体が傾きかねない事態になるというのがどろろで伝えたい命の重さなのではないかと考えています。
鬼神の呪いはまだ終わっていない
- 赤子を捨てることで終わったかのように見えた
- しかしそれは百鬼丸の生きたいという願望によって覆される
- 鬼神の呪いはまだ続いている
醍醐景光が百鬼丸をみて何を思うのかといったことがキーポイントとなってくるでしょう。
醍醐は赤子の命を捨てたことによってすでに国の繁栄は約束されたものと考えているはずです。しかし百鬼丸は生きたいと願った。そして作り物の体を手に入れ未だにさまよっている。もう呪いは終わったものと景光はみているでしょうがその呪いが服を着て歩いている。そして妖怪を倒して自分の体を取り戻そうとしている。
小さな命だとたかをくくって捨てたばっかりの命が生きたいと願った瞬間、醍醐景光自身に呪いが帰ってくることは明白なように思います。
そしてどろろがすべての体を取り戻し醍醐景光に会うときが本当に呪いが解ける時なのでしょう。
その話は最終回までのお楽しみということで。
さよならごっこの意味
- amazarashiの曲が染みる
- 心は人間だが体は人間でないものの心情を描くのが凄い
- マジで聞いてほしい
amazarashiのED曲が良いです。
東京喰種でもそうでしたが心は人間なのに体は人間でないものがいるという世界観に本当にマッチしています。
季節は次々死んでいくという曲では人を食らう喰種と人を守るCCGが戦いその中で消えていく。それぞれが過ごしていた季節というものがあったのにも関わらずすべてが無に帰していくという無常観が良く表現されてましたが、今回も良いです。
恐らくどろろの視点からみた百鬼丸のことを歌った曲なんでしょうが儚く今にも消えそうな百鬼丸の心が「さよなら」ならそのすべてが作り物である百鬼丸の体が「ごっこ」なのでしょう。
また、いつもどろろの一方的な百鬼丸への空虚なコミュニケーションが「さよならごっこ」なのかもしれません。
百鬼丸がすべての体を取り戻した時、そのごっこ遊びも終わりを告げるのでしょう。
まとめ
- とにかく見てほしい1話
- 百鬼丸の生きざまを見よ
- 本当に良い作品
というわけでまとめてみました。次回も楽しみにしています。では。
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