やっぱり最後は感動させてくれたさらざんまい。
きっちり終わらせてくれたことに拍手を送りたいです。
不思議な世界観でもきっちり物語の文脈は守る。
そして面白い作品にできる。
そのことがわかる良い作品だったように思えます。
目次
全体の感想
- ありのまま感じてほしい
- そしてありのままに戻ってほしい
- すべてをさらけだせ
感想が要らない作品。
実際そのような形になっていました。
みたまま視聴者が感じて。
みたまま視聴者が感動し。
みたまま視聴者が明日に向かって行動する。
つまりすべてをさらけだしてみる作品。
考えるんじゃない感じるんだ。
そして感じたままみればいい作品。
この作品は知識があれば見れなくなる。
考えれば考えるほどわからなくなる。
でも素直に感じることが出来れば。
きちんと答えてくれる作品だったように思えます。
私も感想・考察をつらつら書いてきましたが。
そういうのをかなぐり捨ててもう一度見てほしい。
ガチンコでぶつかってこそこの作品の良さが分かる。
でも語りたいだけの良さはある。
なので語っていこうとは思います。
カッパの欲望、カワウソの概念
- したいという欲望
- でもという概念
- 二つの考えがせめぎあう
カッパは欲望。カワウソは概念。
さらざんまいではこういう定義づけがされていました。
そしてこれはどういうものなのか。
自分なりに考えてみました。
一人の男の子が女の子に告白する。
そういうたとえ話を基に考察していきます。
まず女の子に告白したいという欲望。
あのこと仲良くなりたい。そして友達以上の関係になりたい。
これはありのまま自分が感じたこと。
つまりさらけ出している自分なわけです。
でも常識的に考えれば付き合ってもらえない。
この常識が概念。
俺ってもてないし、さえないし、普通に考えて無理。
常識、普通、理性。
こういったものが欲望を邪魔してきます。
そして欲望をさらけだせば女の子とつながりができる。
しかしさらけ出せずに箱詰めされればつながりは断ち切られる。
つまりつながりを持たせるのがカッパの欲望。
そしてつながりを断ち切るのがカワウソの概念。
こうしたものだと考えています。
さらざんまいは欲望と概念の戦いだった
- わらっちゃうほど歪んだ欲望
- そしてそれを否定する概念
- この二つを視聴者に見せてくれた
そしてさらざんまい自体がこの欲望と概念のせめぎあいだったということ。
矢逆一稀は歪んだ弟への愛を持っていました。
そしてそのつながりを維持するためにそのままサラになるという歪んだ形に現れた。
常識的に考えればありえない。
異常、おかしい、滑稽。
視聴者も困惑したはずです。
ありえない形。
久慈 悠も常識の反対で犯罪を犯した。
兄とのつながりを守るために自分の欲望を優先した。
常識で考えればありえない行為だと分かっている。
でも自分の欲望。つながりを優先した。
陣内燕太も矢逆一稀に気に入られた一心だった。
しかしそこからでてきたのはグロテスクな愛。
嫉妬でのひどい行動を見せて視聴者を困惑させました。
三者三様ではありますがこれでもかというくらいのグロテスクな欲望。
これに視聴者は引いてしまうわけです。
「普通」という概念で考えればありえない。
でもその「異常」さこそがさらけ出した自分。
そのままの欲望なのです。
視聴者にありえないというせめぎあいを持たせる。
笑っちゃうほど歪んだ欲望を見せて視聴者に普通という概念で否定させる。
こういうさらざんまいの構図が透けて見えてきたように思えます。
その上で欲望を肯定させる
- 仲間想いの一稀
- 己の罪に向き合った悠
- 正しく一稀を見れた燕太
そしてその上で彼らの欲望を肯定的に見せてくれた。
一稀の歪んだ弟への愛情。
それは誰よりも一稀が思いやりを持っていたから。
だからこそ異常な行動に出てしまった。
そのことが分かるような構図になっていました。
悠も己の罪に向き合った。
その上で反省する道を選んだ。
そして燕太。
最初は愛情が暴走するような形をとっていました。
しかし最後はきちんと一稀の愛情に気づけた。
つまりそれぞれが自分の欲望に折り合いをつけた。
そのうえでポジティブな道を選ぶことが出来た。
欲望が正しい形に向かうことで肯定された。
ここに視聴者は納得するわけです。
あの歪んでいた日々も無駄じゃなかった。
そう思わせるところにさらざんまいのさらなる良さがあります。
分からなくても分かるさらざんまい
- 何だか分からない世界
- それが感じたまま分かるようになっていた
- そこが偉大なところ
そしてさらざんまいのすごいところはそれがありのまま分かるようになっているところ。
つまり解説や考察を読まなくても。
ありのまま感じれば普通に感動できる。
普通という概念をもっている普通の人。
そして普通の欲望を持っている普通の人。
そういうひとがなんだかよくわからにままみたとしても。
普通に登場人物に感情移入できるようになっています。
そして普通に感動できるようになっています。
つまりありのまま。まっさらな状態。
そんな自分の感動をさらけだせるような状態。
自分を裸にしてみることができるわけです。
なんだかよくわかんないままでも。
なんだかよくわかんないまま感動できる。
つまりありのままの自分で見れる。
それがさらざんまいの良さだったように思えます。
なのでこの感想・考察は不要なようにも感じます。
でも私も感じたものがあった。
つまり感動できるものがあった。
なので欲望のままに書かせてもらいました。
自分の欲望のまま書くことが出来たように思えます。
お粗末。
まとめ
- 何だか分からないままみて
- 何か分からぬ感動があった
- それでいいじゃないか
というわけでまとめてみました。
まあ色々語ってはきましたけど。
なんだかよく分からないまま見て。
なんだかよく分からないまま感じ取れる。
それがさらざんまいの凄さ。
ひいては幾原邦彦の凄さ。
そう思ってはいます。
色々考察してるところはありますけど。
まずまっさらな状態で見る。
それで感じ取ったこと。
それがあなたのまっさらな状態。
そのままのあなた。
それを大事にしてほしいと思います。
そしてあなたの欲望。
概念にとらわれて分からなくなった欲望。
それを思い出してほしい。
とりあえず私はブログ書いて疲れたのでファミチキが食べたくなりました。
分かればわかるほど分からなくなる。
分からなければ分からないほど分かる。
そんな作品に出会えたこと。
その出会いに感謝したいなとひとえに思いました。
良い作品でした。さらざんまい。
またどこかで。アデュー。
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