はいやってきました歌舞伎町シャーロック。
今回はまあ虚無ではありました。
救いもなく、喜びもなく、笑いもない。
やっぱりモリアーティは虚無だったように思えます。
正直言って辛すぎます。
けれどもシャーロックとワトソン。
二人には救いがあり。
感じ入る回にもなっていました。
この虚無と救い。
二つが混在していたのが今回であり。
二面性のある物語ではありました。
というわけでサクサク感想書いていきます。
目次
全体の感想
- 虚無と救い
- 二つが混在していた
- 二面性のある物語
虚無と救いの物語だったかなと。
虚無と救い。
二つが混在することにより。
二面性のある物語になっていました。
まず虚無の中心にいるのはモリアーティ。
とにかく何もない。
救いもなく。笑いもなく。喜びもない。
徹頭徹尾虚無でした。
しかしシャーロックとワトソンには救いがあった。
シャーロックはモリアーティに救われ。
ワトソンはモリアーティを救おうとする。
シャーロックとワトソンの良心が響いてきました。
モリアーティ側からすると虚無の物語ですが。
シャーロック、ワトソン側からすると救いの物語になっている。
ここが今回の最大のポイントだったように思います。
とにかく何もなかったモリアーティ
- 救いがない
- 笑いがない
- 何もない
とにかく何もなかったモリアーティ。
少しでも救いがあれば。
少しでも笑いがあれば。
変わったかもしれないが。
そんな要素ゼロ。
徹頭徹尾なにもなし。
ここまで徹底されると。
むしろ潔い。
どこまでもモリアーティは虚無。
しかも虚無中の虚無だった。
どこまでも空っぽだったモリアーティの心。
そしてそれは満たされることのないままだった。
いや満たされることを望んですらいないのかもしれない。
モリアーティには何もないということ。
そして何もないからこそ悪に染まったこと。
そしてその結果何も残さない結果に終わったこと。
あり方、行動、結果。
全てが虚無に見える。
果てしなく何もないモリアーティでした。
ワトソンの救い
- 虚無の極地にいるモリアーティ
- そのモリアーティに救いを与える
- 余りにも意味がないのに尊い行為
ワトソンの凡人が故の救い。
虚無の極地にいるモリアーティ。
もはや救いなどない。
救うには余りにも遅すぎたモリアーティ。
そのモリアーティにワトソンが救いを与えようとする。
余りにも意味がなかった。
モリアーティも心底落胆したでしょう。
もうこちら側にはモリアーティはいないのに。
こちら側としてモリアーティを扱おうとする。
このワトソンの甘さ。
これこそがワトソンであり。
これこそが凡人であるという。
証明をしているように思えました。
けれども。けれどもですよ。
私はワトソンに共感してしまう。
あの優しかったモリアーティに戻ってきてくれると。
余りに真っすぐに思う気持ち。
モリアーティに救いはないが。
ワトソンには救いがあった。
そしてその救いこそが響いてきました。
ワトソンはこの作品の良心だと。
心から思いました。
シャーロックの救い
- シャーロックはモリアーティに救われていた
- 虚無な人間に満たされた虚無な人間
- 本当に救われて良かった
シャーロックの救いが響いた。
シャーロックはモリアーティに救われていた。
シャーロックは虚無な人間だったのかもしれない。
でもまたモリアーティという虚無な人間によって満たされていた。
この虚無が虚無によって心を満たそうとする行為。
それが尊かった。
モリアーティは偽りの優しさだったのかもしれない。
けれどもですよ。
シャーロックは本当の優しさを感じ。
そして心が満たされた。
モリアーティに嘘はあったかもしれないが。
シャーロックの心に嘘はなかった。
この嘘のあるなしの差。
これこそがシャーロックとモリアーティの差であり。
二人の明暗を分けたように思えます。
シャーロックはモリアーティに救われて本当に良かったと。
心から思います。
こちらにいないモリアーティ、こちらにいるモリアーティ
- もはやこちらにはいないモリアーティ
- しかしこちらにいるモリアーティをシャーロックとワトソンは信じている
- 良心の境界がポイントだった
モリアーティのあり方がポイントの回でした。
もはや悪に染まっており、その心は虚無。
こちら側にはいないモリアーティ。
しかしシャーロックとワトソンは。
優しくて茶目っ気のあるモリアーティ。
こちらにいるモリアーティを信じているんですね。
もはやこちらにモリアーティはいないのに。
こちらにいるモリアーティの影を見ている。
しかしそれはあくまで影なので。
モリアーティには届かない。
実際のモリアーティはこちらにはいないのだから。
しかしこの良心の境界こそがポイントでした。
モリアーティの影であってもシャーロックとワトソンにとっては真実。
正しい心をシャーロックとワトソンが持っていたからこそ。
そこが物語の救いに繋がっていたんですね。
モリアーティ側から見ると虚無の物語でした。
けれどもシャーロックとワトソンにとっては救いの物語になっており。
そこが響く描写ではありました。
まとめ
- モリアーティには虚無の物語
- シャーロックとワトソンにとっては救いの物語
- 良心の境界が分かれる回だった
というわけでまとめてみました。
モリアーティ側からすると虚無の物語。
圧倒的にモリアーティには何もなく。
その虚無に良心など入り込む余地はない。
笑いもなく。救いもなく。喜びもない。
辛すぎる空っぽな内面。
それだけが響いてきました。
しかしシャーロックとワトソンにとっては救いの物語。
シャーロックはモリアーティに救われ。
ワトソンはモリアーティを救おうとする。
この救いの行為はモリアーティの良心が起こしたんですね。
それがモリアーティにとって偽りの良心であっても。
シャーロックとワトソンにとっては本当の良心だった。
そしてシャーロックとワトソン自身が良心をもっていたからこそ。
モリアーティの良心を感じることが出来た。
そんな救いがありました。
モリアーティの良心の無さによる虚無。
シャーロックとワトソンの良心による救い。
良心の境界が別れる回ではありました。
というわけで次回も正座して待っています。
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コメント
自分には、原作の「三人のガリデブ」やライヘンバッハの話が合わさっていたように感じます。モリアーティは空っぽを自称しながら、執拗に同胞を求めたがっていましたね。自分のような人間は、自分ひとりでないと思いたいのだなと。しかし、シャーロックは少年でない分、モリアーティの求めに揺らがないし、ワトソンの大切さを噛み締めるのですよね。モリアーティの悪は、宙ぶらりんになってしまいましたな。
>しゃあるさん
コメントありがとうございます。
確かにモリアーティは中途半端な感じではありましたね。
私は救いはないと思っていたんですがモリアーティはシャーロックに救いを求めていたのかも知れませんね。
そこがモリアーティの甘さだったのかもしれません。